最近海外では信頼のおける通訳が起こした詐欺事件が話題になりましたが、野球に全く興味のないけこちも人間の隠し持つ恐ろしさを感じ、ショックを受けたものです。
しかしこの事件で真っ先に思い出したのがBadfingerの一連の出来事でした。
当時の音楽ビジネスの良くない流れに巻き込まれたところから始まった
↓けこちが初めてバッドフィンガーを知ったMV。
個人的にはギター二人がGibson SGを使っているのが印象的でした。ピート・ハム(画面右)はジョージ・ハリスンからビートルズで使っていたSGをもらったりもしていたようで。
詳細はwikipediaをご覧いただくとして、まず1968年頃、バッドフィンガーと名乗る前のアイヴィーズ時代にビートルズのロードマネージャー、マル・エヴァンズ(Wikipedia)からアップルとの契約を提案されたのが始まり。マル・エヴァンズとは、ビートルズの映画「HELP!」で唐突に水中から現れて「ドーバー海峡はどっちですか?」と聞いていたあの人です。ディズニープラスで見れるゲットバックでもかなり頻繁に出てきてましたね。(この人はこの人でちょっとまたかわいそうな人生の終わり方をしたのですがそれはまた別の物語)
ご存じの通り、これまたまさにハゲタカであるアラン・クラインのマネジメント(担当したのは1969年~73)によるアップルレコードのごたごたに巻き込まれつつ、1970年にバッドフィンガーのマネージャーにしたスタン・ポリーによる詐欺的契約により、純粋で才能のあるアーティストであるメンバーは食い物にされ(搾取)、借金を背負わされ、完全に希望を失ったピートは身重のガールフレンドがいるにもかかわらず1975年、自宅のガレージで首を吊って亡くなってしまいます。ピートは27歳で亡くなったのでまさに27クラブ(Wikipedia)のメンバーの一人という事になりますね。
ピートの死後、「ウィズアウト・ユー」の利権のことでジョーイと対立し、その訴訟に疲れ果てたトムもまた、1983年に自宅の庭の木で首を吊って亡くなってしまう。当時の奥さんの証言によると『ピートがいる所に行きたいよ、あそこはここよりもいい場所だ』と言っていたと。
純粋な、才能のあるアーティストがこんな形で食い物にされた挙句に借金を背負わされ、自ら命を絶つ。反対にアラン・クレインにしろスタン・ポリーにしろ、悪い奴は結構長生きしています。世の中こんな風に理不尽すぎることも起きるという事ですが本当に悲しい、そしてひどい話です。
Pete Ham ピート・ハム
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Tom Evans トム・エヴァンズ
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Joey Molland ジョーイ・モーランド
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MIKE GIBBINS マイク・ギビンズ
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そんな中「ウィズアウト・ユー」をニルソンがヒットさせてしまう
ピート・ハムとトム・エヴァンズが作曲したこの曲は、Badfingerとしてヒットしたわけではないのに1971年にニルソンがカバーして全英全米全加共に一位を取る大ヒット。この曲がヒットしたという事はピートとトムの作曲センスは世界レベルでヒットさせる力を持っているという事が証明されているようなもの。それなのに当時作詞作曲した本人たちはお金に困ってるってもうけこちはいたたまれない気持ちでいっぱいになってしまう。
だから最初Badfingerのバージョンでも個人的にはこの曲だけ聞かなかったくらい。(最近やっと少し聞けるようになってきた)ニルソンのバージョンのも、マライアのバージョンのも一切聴きたくないんですわ。※あくまで個人的な感情によるものです。
ただ、2013年までにロイヤリティの事に関しては解決されたようですし、94年にマライアがカバーしたことで作り手には金銭面では恩恵があったようなので、これは遺族各人も感謝しているのではないでしょうか。
皆さんはけこちよりは冷静だと思うのでここでまず聴き比べてみて下さい。
badfingerオリジナルバージョン(1970)
ニルソンバージョン(1971)
マライアバージョン(1994)
数少ない当時のビデオクリップの中からいくつかピックアップ
けこちの大好きなこの時代のプロモーションビデオ。残念なことにあまりにも品質のいい映像が残っていないのですがいくつか。もっと映像に残してほしかった…!
The Iveys Maybe Tomorrow(街角で歌うVer)
the iveys時代のプロモビデオのようですが、なんでしょうこれは。夜の街中で歌うメンバーがいて、そこから少し距離を置いて女性がたたずみ、だんだんバンドメンバーに近寄っているのですが、バンドメンバーも見て見ぬふり。お互いに何がしたいのかわからないこのおかしな緊張感。目が離せません。
みんなまだ若いですね。このころはまだベース担当のロン・グリフィスがメンバーにいた時代。
The Iveys Maybe Tomorrow(スタジオ演奏)
笑顔で演奏しているのが印象的な映像。メンバーの雰囲気がいかにも当時の数あるイギリスのバンドの一つという感じ。
ベース担当のロン・グリフィス、まったくもって落ち着きないです。せっかくいい曲なのに。
Badfinger – Day After Day (1971)
バンドメンバーが郊外の誰かしらの家の付近を散歩したり川で遊んでいます。プロモなのか何だかよくわかりませんが、こういうのが多いですね。
Maybe Tomorrow インタビューあり
インタビューはありますが、何語かわからんけど他人の声でせっかくのメンバーの声がかき消されてます。なんちゅうことしてくれるんじゃ!
The Iveys–And Her Daddy’s A Millionaire Video
ロケ地は多摩テックなのか函館公園なのか今となっては全くわかりませんが、”プライベートで遊園地を楽しんでいる風”のイメージのビデオに音楽を重ねている映像。
BBCドキュメンタリー【`They Sold A Million` Badfinger BBC documentary】
日本語訳できないみたいなので英語が理解できない人にとってはなんとなく想像するしかありませんが、貴重な映像。ピートの奥様が出演しています。
各作品
70年代前半に作られた楽曲、ピートがまだ在籍している時代を中心にアルバムをピックアップしてみます。
Maybe Tomorrow(1969)
アイヴィーズ (The Iveys)としての彼らのデビューアルバムなのですが、アラン・クレインがアップルレコードの財政上の事情から発売延期とし、日独伊でしか発売されてなかったとのことで売れなかったとのこと。せっかくのデビューアルバムからしてこの不運…。下のマジッククリスチャンと数曲ダブっています。
Magic Christian Music(1970)
マジッククリスチャンという映画があります。リンゴ・スターやジョン&ヨーコがちょこっと出てたりするのでビートルズファンは見てる人も多いのでは。ただし、このアルバムは公式のサントラではないとのこと。
ポール・マッカートニー、トニー・ヴィスコンティ、マル・エヴァンスが各人任意の曲をプロデュース。一般的に注目されるのが、ポール・マッカートニーが作曲プロデュースした1でしょうか。けこちは中学の時に先にポールが歌っている1を聴いていて、この曲に関してはそのポールのクオリティーの印象だったのだが、このbadfingerバージョンはポールが曲を示しそれを真似しろという指示によってのこの曲なので、badfingerの個性というよりはやらされ感を感じてしまってあまり聴く気になれないので困ったものです。
↓ポールのバージョン
逆にポールのプロデュース以外の曲の方が、元々優れている彼らの力を感じることができるなとけこちは感じています。
それと、badfingerってパワーポップと言われることが多いと思うんだけど、この頃どちらかというとトムがリードボーカルを取る事が多かったようで、彼が穏やかに歌う曲なんてのはどちらかというとソフトロックというジャンルに近い繊細なイメージ。実はミレニアム辺りを意識していたりして…。これなかなかキラキラしていて素敵です。一般の概念であるbadfinger=パワーポップというのはピートのイメージだったのかとこのアルバムを聴いて感じました。
ポール・マッカートニーがプロデュースした7ではポール自身がピアノを、1ではパーカッションを演奏。12のピアノは彼らの当時のマネージャーであったビル・コリンズ。18のピアノはなんとニッキー・ホプキンス。ロン・グリフィスはこのアルバムが最後。
No Dice(1970)
ジョーイ・モーランドが新しくギタリストとして加わり、トム・エヴァンズがベースとなったのはこのアルバムから。パワーポップ色が強くなる。楽曲のクオリティーもだんだん上がり、「嵐の恋」がヒット。前述の「ウィズアウト・ユー」が入っているアルバム。ボーナストラックも結構入っています。
プロデューサーはビートルズのプロデュースで知られるジェフ・エメリック、「嵐の恋」と「ビリーヴ・ミー」はマル・エヴァンズがプロデュース。
Straight Up(1971)
このアルバム辺りからなんだか周りの環境がごたごたし始めてきたイメージ。
最初ジェフ・エメリックをプロデューサーにしていたものの、アップル側の事情によって棚上げになり、その後ジョージ・ハリスンがプロデュースするものの、自分のバングラディッシュコンサート関連で忙しくなったせいかトッド・ラングレンをプロデューサーに雇う事に。
そのトッドに関してバンドメンバーにはあまりよく思えない事象があったようです。プロデュースはバンドの個性を無くすような事になったと。プロデュースってどうしてもプロデューサーも爪痕残したくてバンドの意向とか無視されがちなんですかね。聴いてるこちら側としてはすべて魅力的に聞こえるんだけども。
70年11月にスタン・ポリーとマネジメント契約をするんだけど、メンバーの気持ちとしてはアップルのアーティストという事で自分たちのアイデンティティーを確立しづらい環境にあったこともあったようだ。なるほど合点がいった。それにしてもアップルレコードに関わってから全てが悪い方向に行っている。
「デイ・アフター・デイ」ではジョージ・ハリソンがスライドギターでピートとデュエットしており、ピアノはレオン・ラッセル。なかなか素敵です。
ピートの書いた「ネーム・オブ・ザ・ゲーム」が、これまたアップルの判断でシングルリリースを拒否されたとのこと。優れたアーティストのこんなにいい作品がアーティスト以外の意向でなき者にされるというこの時代、私たちが生きている現代の2024年だったらアップルレコードなどに頼らなくてもYouTubeにアップしてアーティストの純粋な活動ができただろうに。
Ass(1973)
まずこのアルバムジャケット(作者はピーター・コリストン)に関して、海外のWikipediaでは
「遠くにあるニンジンを追いかけるロバを描いた表紙のアートワークは、アップルに騙されたというバッドフィンガーの感情をほのめかしている。」
引用元:海外のAssのwikiによる説明
と書かれているんだけど、日本のWikipediaにはスタンによるワーナーとの契約に関する説明があり、アップルレコードに合法的に妨害されたことにも触れ、
アップルはバンドをロバに見立て巨大なニンジン(ワーナーとの巨額な契約)につられるという皮肉的な絵をこのアルバムのジャケットに使用し、タイトルも『Ass(ロバ)』とした。
引用元:日本のBadfinger Wikipedia
とそれぞれ矛盾したことが書かれているんです。
流れ的には日本のWikiに書かれている内容の方が筋が通っているかなと思いますけどね。
曲はトムの書いた「When I Say」が輝いてます。ピートの書いた曲は2曲だけで過去のものと比べると曲調内容共に少し暗いイメージ。このアルバムではこの二人が曲をあまり書いていない。
トッド・ラングレンが4と9を録音した後に降板、バンド自身でプロデュースしようとしたけれど品質が悪くレーベルから拒否されたため発売延期。自分たちにはプロデュース能力がなかったことを認め、当時アップルレコードのエンジニアであったクリス・トーマスに協力を求めたとのこと。
クリス・トーマスといえばサディスティック・ミカ・バンドの福井ミカさんと不倫した後に正式なパートナーとなった相手という事で有名な方ですわね。
badfinger(1974)
本当は1973/12に発売されるはずだったのにAssが同月に発売されることになったのでこちらが延期されたとのこと。毎回何らかの理由によって発売延期してますな。アップルレコードとの訴訟問題はプロモーションにも影響が大きく、結果売れ行きにも影響を及ぼします。
明らかにこのアルバムで輝いている曲はピートの「ロンリー・ユー」なのに、どうしてシングルカットしなかったのか。この頃はもうレーベル同士の不当な争いに巻き込まれて不利な状況に陥っていたようだから仕方なかったのかもしれないけれど。
プロデューサーは引き続きクリス・トーマス。
Wish You Were Here(1974)
このアルバム、せっかく世の中的には好評だったのに、ワーナー・ミュージック・パブリッシングとの訴訟問題のため、発売から7週間後の1975年初頭にレコード店から回収された、ってまたも販売と反対の流れに。どうして作品の良しあしとは別のところで世の中に出るチャンスを奪われなければならないのか。理不尽極まりない。
全体的に曲のクオリティーが高めで、聴きやすい曲が多く入っているイメージ。ピートの「Dennis」は安定のクオリティー、珍しくジョーイ・モランドの「ラブ・タイム」がなかなか素敵です。
プロデューサーはまたしても引き続きクリス・トーマス。実はこのアルバム、以前けこちの書いたシカゴの記事で取り上げた「カリブーランチ」で録音されたとのこと。シカゴも搾取されていたわけですけどその話は是非以前の記事を読んでみてください。
Head First(2000)※録音は1974
ジョーイ・モランドが抜けてボブ・ジャクソンが加入。そのことが影響しているのかどうかわからないけれど、雰囲気は明るく品質が高い曲が多い。
クリス・トーマスは前回のアルバムから時間が経っていないのでアルバムを発売することを反対したので、バッドフィンガー側のマネジメントがケニー・カーナーとリッチー・ワイズに変えたらしい。
訴訟問題を理由に、ワーナーブラザーズ側はこのアルバムを棚上げにしてリリースしなかった。それが2000年に発売されたという事なんですね。当時のメンバーはどんな気持ちだったのか。
バッドフィンガー側がこの訴訟のことを知ったのは1975年の初めで、同時にスタンからのグループへの給与小切手の停止をされたそうで、そのあたりの出来事が決定打になってしまったのか、ピート・ハムはこのアルバム完成からわずか4か月後の1975年4月24日に亡くなってしまうのです。
Very Best of Badfinger
無難にいいとこどりしたいならこのアルバムがおススメ。
7 Park Avenue
ピートの死後に発表された未発表デモ録音を集めた作品が出ています。1997年発売の一つ目。
Golders Green
死後に発表された未発表デモ録音を集めた作品、1999年発売の二つ目。
Susanna HoffsとAimee Mannによるカバー
ビートルズファンとして有名なバングルスのスザンヌ・ホフスがバッドフィンガーの曲をカバーしています。彼女はたまに他人の曲をカバーしますよね。昔から彼女の曲のチョイスはなかなか侮れないと思っていましたがバッドフィンガーのこの曲を選ぶとはやはり嗅覚が鋭い。間違っても「ウィズアウト・ユー」なんて選びませんよこの人は。
スザンヌ・ホフスのボーカルは唯一無二ですが、この曲の場合はエイミー・マンのボーカルの奥深いボーカルが合っているように感じました。
あとがき
色々調べながらこの記事を書いてきましたが、改めてメンバーがどれだけ苦しんだろうなと感じてけこちも辛い気持ちになり、なかなかスピード感を持って書き進められなかったけれど、バッドフィンガーのこの一連の話が人々に忘れ去られそうだと感じたので、2024年に生きるけこちが取り上げてみました。
昔はアーティストの搾取ビジネスが結構あったようですが、現代を生きる私たちもその辺気をつけて生きて行かないといけません。
当時の他のアーティストに比べると演奏のクオリティが良いとは言えないかもしれないけれど、彼らが作り出す詩やメロディーは味わい深く心に響き、とても魅力的なものです。ぜひぜひ聴いてみて下さいね。
ちなみにこんな本も出るみたいです。これは非常に興味深い。